大判例

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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)983号 判決

証拠を斟酌すると、被控訴人及び控訴人の両名は昭和三十年三月十日の夜香取郡東庄町笹川駅前にあるそば屋の田中屋で催された同駅長の転任送別会にともに出席し、腕自慢のことから喧嘩口論を始めたが、その場は他の列席者の仲裁によつておさまつたこと、右送別会は同夜の十二時過ぎ、すなわち、四日の午前零時過ぎ散会となり被控訴人は前記宇佐美と共に帰宅することとなり、同町笹川須賀山道祖神の十字路に自転車を押して差し蒐つたが、この時被控訴人のその後の動静を確めようとしていた控訴人が左横から自転車で顕われ車を下りて向つて来たので、被控訴人はこれに応じ、忽ち喧嘩の蒸返しとなり、被控訴人は拳固で、控訴人は所持の折畳式小刀で立ち向つて乱闘し、その結果、被控訴人は左環指、右中指、同小指、同手掌及び頭等に切創を負い、一方控訴人は右眼附近に青血を生じたこと及び被控訴人はこれがため同日から同年四月五日までの間同町の石毛文行医師について十日間通院治療を受け、さらに、その後も鈴木一郎、高安宗博らの治療を受けたが、左環指の切創は遂に全治せず、屈折の機能を失うに至つたことが認められる。(被控訴人及び控訴人がともにその主賓の点を別として本文の送別会に出席し、その席上で喧嘩口論をし、その場が仲裁によつておさまつたこと及びその後道祖神の十字路で右両者間に再び喧嘩が起つたことは当事者間に争がない。)前示証言、本人尋問の結果及び甲第五、六号証、第九ないし第十四号証の各記載中には幾分以上の認定に副わない部分がなくもないが、その部分は信用しないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

思うに、喧嘩は当事者双方が互に精神的、肉体的、物質的に傷付け合う行為であつて、その一方を他方の不正行為に対する防禦行為とすることは困難であるから、喧嘩の際における双方の行為は何れも不法の行為とする外はないのであつて「喧嘩両成敗」という古い諺と旧慣とは最も端的にこの間の消息を示すものである。さて、喧嘩の際における行為が本来不法のものであることは以上のとおりであるが、感情の動物であるともいわれる人間の共同生活において喧嘩口論の起ることは免れ難いところであり、すべてこれを一律にしかも厳重に法規によつて律することは決して人間生活に秩序と平和をもたらすゆえんではあるまい。社会の習俗としては、その行為が軽微であつて公安を害するものでなく、かつ違法性もとぼしい限り、喧嘩の際の行為はすべてこれを不問に付することになつているのでありそして、法律も決してこの習俗を否定するものではない。

本件についてこれを見るに、控訴人の本件傷害行為が喧嘩の際の行為(従つて控訴人の所論のように本来的無責の行為とすることはできない。)であることは先の認定に徴して明瞭であるけれども、相手が拳固で立ち向つて来たのにたとへこれに応戦するにせよ小刀で斬り付けるというようなことが前説示の原則に反するものであることは疑問の余地がないから、控訴人は本件傷害について不法行為上の責任を免れえないものといわなければならない。

(岡咲 田中 土井)

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